どんな仕事が立派なのか?
これは、私たちが成長する中で、知らず知らずのうちに考えさせられてきた問いかもしれません。
医者や弁護士、政治家、経営者…。
いわゆる「エリート」と呼ばれる職業は、世の中でもよく注目され、評価も高いものです。
確かに、こうした仕事は高度な専門知識や大きな責任が必要で、誰でも簡単にできるわけではありません。
それらの仕事が人の命や暮らしを守る、大切な役割であることは間違いありません。
でも、私たちの暮らしは、そうした“目立つ”仕事だけで成り立っているのでしょうか?
今日は少し視点を変えて、「すべての仕事が社会を支えている」ということについて、一緒に考えてみたいと思います。
みんなで支え合う「役割の分担」
分担については以前、「なぜ私たちは働くのか?」でもお話しました。
私たちは、一人ひとりが分担して働くことで、便利で豊かな生活を送ることができています。
食べ物を作る人、家を建てる人、電気を送る人、荷物を届ける人、ゴミを回収する人…。
どの役割も欠かすことができません。
たとえば、いくら優秀な外科医がいても、食事を作ってくれる人がいなければ力が出ません。
ゴミ収集の人がいなければ街はすぐに汚れてしまいます。
電車やバスの運転士がいなければ、病院に通うことさえできないでしょう。
つまり、どんな仕事も、それぞれの立場で社会を支える「大事なピース」なのです。
「すごい人」って、誰が決めたんだろう?
私たちは知らず知らずのうちに、仕事に“上下”をつけてしまうことがあります。
収入が高いとか、有名企業に勤めているとか、責任が大きいとか。
そうした基準で、「すごい」「尊敬される」と、なんとなく感じてしまうのです。
私たちは「すごい人=立派な仕事についている人」というイメージを持ってしまいがちです。
ですが、社会はそんなに単純ではありません。
毎日道路を掃除してくれる人がいるから、私たちは気持ちよく朝を迎えられます。
毎晩コンビニでお弁当を並べる人がいるから、夜中にお腹がすいても助かります。
誰かの小さな仕事が、私たちの「当たり前」を支えてくれているのです。
そう考えると、どんな仕事にも「尊さ」が宿っていると感じませんか?
エッセンシャルワーカーが教えてくれたこと
特に最近では、コロナ禍を通じて「エッセンシャルワーカー」という言葉が注目されました。
医療従事者、介護職、保育士、物流、清掃、スーパーの店員…。
これまであまり表に出てこなかった仕事の大切さが、改めて見直されたのです。
それまでは、「あって当たり前」と思われていた仕事。
でも、ほんの少し滞るだけで、私たちの生活はたちまち不便になり、不安が広がりました。
「見えない仕事」ほど、実はとても大切な役割を担っている。
私たちはこのとき、そんな当たり前のことを、改めて学び直したのかもしれません。
どの役割もなくてはならない
どんな仕事にも「社会に必要だから存在している」という理由があります。
そしてどの職業も、決して「誰にでもできる簡単な仕事」ではありません。
それぞれの現場に工夫や経験が必要で、責任も伴います。
だからこそ、すべての仕事は尊いのです。
小さくても、誰かの役に立つことが大事
「まなびや たぬき堂」ではこう考えます。
大きな成果を上げなくてもいい。
人から「すごい」と言われなくてもいい。
自分にできることを、自分にできる範囲で、誰かの役に立つこと。
それこそが立派な「社会への貢献」だと思うのです。
掃除をしてくれる人がいる。
荷物を届けてくれる人がいる。
電車を運転してくれる人がいる。
そうやって、私たちの暮らしは成り立っています。
もし誰かが欠けたら、たちまち社会はうまく回らなくなってしまいます。
だからこそ、どんな仕事にも「ありがとう」の気持ちを持ちたい。
そして、自分の仕事も、どんな小さなことでも「役割のひとつ」として大切にしたい。
おわりに すべての仕事は対等
世の中には、本当にさまざまな仕事があります。
目立つ仕事もあれば、地味に見える仕事もあります。
でも、どの仕事も欠けてしまえば、今の私たちの生活は成り立ちません。
目立つ仕事だから尊敬するとか、地味だから軽んじるような世の中になってほしくない。
すべてがつながっていて、支え合って、今の社会ができているのです。
すべての仕事は対等です。
だから、どんな仕事も誇りを持っていい。
そして、そのことに一人でも多くの人が気づき、お互いに感謝しあえる社会になったら、きっともっとあたたかい世の中になると思います。