一所懸命にがんばったのに、誰にも気づかれなかった。
時間も労力も注いだのに、結果が出なかった。
がんばれば報われると思っていたのに、現実はそう簡単ではなかった—。
そんな経験、誰しも一度はあるのではないでしょうか。
評価されなかったとき、自分のがんばりが無駄だったように思えて、
「何のためにやってるんだろう」と、心がふっと沈んでしまう。
それでも、私たちはまた歩き出そうとします。
今回はそんな「がんばりが報われない」と感じるときについて、たぬき堂らしく、そっと寄り添いながら一緒に考えてみたいと思います。
がんばりは、すぐに報われるとは限らない
努力は必ず報われる。
子どもの頃、そう信じて頑張ってきた人も多いかもしれません。
でも現実の世界はもう少し複雑です。
努力と成果は、必ずしも比例しません。
どれだけ準備しても、運に左右されたり、タイミングが合わなかったり。
ときには、がんばっていることすら誰にも見えていないこともあります。
それでも、それは「無意味」だったのでしょうか?
評価されなかったからといって、その努力まで否定してしまうのは、あまりにももったいないと、私は思うのです。
報われないように見えても、ちゃんと積み重なっている
結果が出なくても、誰かに褒められなくても、がんばったという事実は、確かに自分の中に残っています。
失敗した経験が、次に生きる知恵になることもあるし、地味な作業を毎日続けたことが、後から自分を助けてくれることもあります。
私自身もこれまでのすべてのことが自分の成長の糧として積み重なっていると感じています。
上手くいかない時は、努力してきたことが、今はどこにもつながっていないように感じることもあるでしょう。
でも、それは「まだつながっていない」だけかもしれません。
アップル創業者のスティーブ・ジョブズは、人生を振り返ってこう語りました。
「点と点は、あとから振り返って初めてつながる」
コネクティング・ザ・ドッツ(点をつなぐ)という考え方です。
今の努力が、すぐに成果として現れなくても、その経験がいつか思いがけないかたちで、未来の自分にとって大きな意味を持つことがあるのです。
だから、「何も得られなかった」と思わなくていい。
あなたががんばってきた時間は、決して消えてしまうものではありません。
何のために、がんばるのか?
次は、がんばる動機について考えてみましょう。
私たちは、何のためにがんばるのでしょうか?
評価されるため? 誰かに認められるため?
もちろん、それも一つの動機かもしれません。
でも、がんばる理由はそれだけではないはずです。
たとえば、「このやり方を変えたら、もっと楽になるはずだ」
「せっかく時間をかけているなら、もっと意味のある時間にしたい」
「少しでも、みんながラクになれば」
そんなふうに、目の前のことを少しでもよくしたいという気持ち。
それも立派な「がんばる理由」だと思うのです。
「ITのことがわかる人がもっと増えたら、きっと組織も変わっていくはずだ」
「自分が学んできた知識を、誰かの力にできたら嬉しい」
そうした自分の中から湧き出る目標や願いは、誰に言われなくても自然と行動を生み出します。
それは、“やらされている”のではなく、“やりたいからやっている”という感覚です。
たとえすぐには成果が見えなくても、すぐに人に理解されなくても、内側から湧く想いは、ぶれずに力をくれます。
この内発的な動機がある限り、私たちは自分の意思で、何度でも立ち上がれるのです。
でも、もし今「自分にはそんな強い想いなんてない」「やりたいことが見つからない」「何のために働いているのか分からない」ー
そう感じている人がいたとしても、大丈夫です。
内発的な動機というのは、最初から明確なかたちで見えているものではありません。
はじめはただの「なんとなく」「ちょっと気になる」から始まることも多いのです。
たとえば、「この作業、面倒くさいな」と感じたとき、「もっと良いやり方ないかな?」と思った経験はありませんか?
それこそが、小さな内発的動機の芽です。
「自分には何もない」と思わずに、いろんなことをやってみたり、ちょっとだけ周りをよく観察してみたり、「誰かが困っていないかな?」と気づこうとしてみたり—
そんな小さな動きが、自分の内側にある「やってみたい」を少しずつ浮かび上がらせてくれます。
今はまだ見えなくても、経験の中で動機は育ち、形になっていくのです。
「報われる」とは何かを見つめ直す
私たちは「がんばったのに報われなかった」と感じるとき、「外からの評価」を求めていたのかもしれません。
でも、誰にも気づかれなかったけれど、自分では納得のいく仕事ができた。
誰にも褒められなかったけれど、自分が信じた道をまっすぐに歩いた。
それもまた、立派な「報い」だと思うのです。
たぬき堂では、「報われる」という言葉を、「意味を見いだせること」と言い換えてみたいと思います。
たとえ他人から評価されなくても、自分の中に意味を見いだせるなら、そのがんばりには、確かな価値がある。
本当のごほうびは、他人の言葉や数字ではなく、自分の中に残っていく「誇り」や「納得」だと思うのです。
おわりに あなたのがんばりは、誰かを支えている
私たちは「がんばったのに報われなかった」と感じるとき、「外からの評価」を求めていたのかもしれません。
でも、誰にも気づかれなかったけれど、自分では納得のいく仕事ができた。
誰にも褒められなかったけれど、自分が信じた道をまっすぐに歩いた。
たとえ他人から評価されなくても、自分の中に意味を見いだせるなら、そのがんばりには、確かな価値があります。
直接言葉にされなくても、あなたのがんばりが誰かを勇気づけたり、支えていることもあります。
だから、まずは自分が、自分のがんばりを認めてあげてください。
「よくやったね」「大丈夫、ちゃんと積み重なってるよ」って。
たぬき堂は、あなたのその静かな努力を、いつでも応援しています。